
濁酒醸造
どぶろくじょうぞう
古より続く
神と人を結ぶ
この一献
船川八幡宮は、国税局から濁酒(どぶろく)造りが認められている全国でも珍しい神社のひとつです。岡山県では当宮だけ、中国地方でも島根県の佐香神社と合わせて二社だけです。そして、この濁酒醸造は昭和56(1981)年、新見市の無形民俗文化財に指定されています。
船川八幡宮略記によると、永禄年間(1558~1569)鳶ヶ巣(とびがす)城主徳光兵庫頭が当宮を氏神として崇敬し、神夢によって備中松山(現高梁市)へ舟路を開いたことへのお礼として濁酒献上の定めを起こしたのが始まりとされています。元禄10(1697)年には、一万八千石の新見藩主となった関備前守長治侯が神社を今市から明月山に奉遷、藩の守護神として崇め、秋季大祭の御神幸武器行列とともに、濁酒醸造の行事を定めました。
新見藩主の下知状(げじじょう)により、毎年五斗(ごと)の醸造用の除地米(租税を免除された土地から採れた米)を受けたと神社の古文書に記されています。明治4(1871)年、は廃藩置県により新見藩は無くなりましたが、この伝統行事は氏子によって支えられ、明治32(1899)年「古例ニ依リ濁酒醸造ノ件認可ス」と広島税務管理局長から正式に許可を受けました。明治、大正、昭和、平成、令和と幾多の変遷を経ながら、400年以上も昔ながらの手法と伝統を頑なに守り今日に至っています。

酒造りは、秋季大祭の約1カ月前の9月1日前後に始まります。神社内の濁酒醸造殿で宮司や禰宜、酒造関係者による神事の後、酒母仕込から始まります。
酒母の入ったタンクの中に、蒸米、米麹、水を加えてしっかりとかき混ぜる初添仕込から仲添、留添仕込を経て、約280㍑(予定量)のアルコール分約17度の濁酒を造ります。最終的に新見税務署の検定を受けた後、10月14日の宵宮祭、翌15日の例大祭に神前に献上、氏子や参拝客らにお神酒としてふるまっています。

